願いは叶う。努力は報われる。幼い頃から十五年間、そう教えられて育ってきた。でも全部嘘だった。信じる者は騙されて、頑張る者こそ馬鹿を見るのだ。陸(リク)は叫び出したいほどの怒りを原動力に、ひたすら自転車のペダルをふみこんだ。
 山間を貫く国道は両脇にあふれんばかりの緑をたたえ、前も後ろも地平線まで自動車一台見えない。初夏の空は腹の立つほど青く高く澄み、白い入道雲がその裾を鷹揚にふちどっている。世界はこんなにもまぶしく輝いているのに、彼を取り巻く現実は不条理でいっぱいだった。


 「やっと追いついた。」
陸が国道沿いの自販機の前に自転車を止めてルビー色のサイダーを一気飲みしていると、先ほどから遠く後ろに見え隠れしていた黄色いマウンテンバイクにあっと言う間に追いつかれた。サッカー部の紺のユニフォームの少年はマウンテンバイクからヒラリと降りると、古びたベンチで休憩していた陸の真ん前に立ちはだかる。ちょうど太陽の手前に割りこんだから、陸からは少年のふわふわ漂う頭髪のシルエットしか見えない。だがそれで充分だった。少年は催促するように陸の前にずいと細長い腕を差し出す。
「一口ちょうだい。陸、速いよ。ガリベンなのに結構体力あるんだね。」
「ガリベンじゃないし。」
陸はそっぽを向いてペットボトルを乱暴に手渡す。受け取った少年は喉に流しこむ勢いで残りのサイダーをすべて飲み干すと、少し離れたゴミ箱に向かってペットボトルを蹴り上げた。透明の容器が太陽の光をキラキラと反射しながらきれいな弧を描く。金網のゴミ箱がガラガラと乾いた音を立てて揺れた。
「なんでついてくるんだよ。宙(ソラ)も敵なんだろ、ほっとけよ。」
陸がいらついたように声を上げると、宙はしゅんとしたように肩をすくめた。 二人は同じ高校に通う幼なじみだった。
「敵じゃないよ、オレは陸の味方だよ。」
「母さんたちの味方をするんだから敵だろ!」
「顔色をうかがって嘘をつくようなやつが本当の敵だよ。陸を思って正直でいるオレは味方だ。」
「……フン。いいからほっとけよ。」
ただでさえ小柄で童顔な陸は子供のようにふてくされた顔で吐き捨てると、サドルにまたがって再び勢いよく自転車をこぎ始める。相変わらず車一台通らない田舎道は、夏の大陽の照り返しで遠くのアスファルトがぬらりと光って見えた。
「待ってよ、もー!」
宙も地面に下ろしたばかりのボールバッグを再び斜めがけにし、ペダルを踏んで急いで陸の後を追う。マウンテンバイクの黄色のボディを陸はいつも趣味が悪いと言っていたが、大らかで暢気な宙にはその鮮やかな色が不思議とよく似合っていた。


 その日の陸は、毎週土曜日の朝から行われる特別補講に参加していた。テストや模試の前に不定期に開催される、特進科の希望者のみが参加する成績上位者向けの授業だった。
 陸は子供の頃から学校の成績がずば抜けており、真面目で素行もよかったので地元の小さな町では幼い頃から天才だの神童だのともてはやされていたが、県立高校の特進科に入学して四ヶ月、ここでも創立以来の天才児だと教師たちをうならせていた。
 「陸、帰ろうぜ!」
補講の終わった教室の真ん中で一人、通話の切れた携帯電話を握りしめ怒りにわななく陸を見て、部活を終えて裸足にユニフォームのまま駆け上がってきた宙が首を傾げる。
「なんでぶーたれてるの? またおばちゃんとケンカ?」
「うるせー!」
陸は携帯を通学バッグに投げ入れ、手に持っていた模試の結果をぐしゃぐしゃに丸めて机に突っ伏した。
「騙された。西大医学部でA判定を取ったら、留学はしなくていいって約束したのに。」
高校に入学してまもなく、陸は両親から熱心に語学留学を勧められていた。でも陸はどうしても留学する気になれなかった。英語は好きだったし外国の暮らしに興味もあったが、陸にはここを離れられない理由があったのだ。だから散々両親を説得し、次の模試で好成績を上げたら留学の件は考え直すと約束を取り付けたのに、いともあっさりと反故されてしまった。陸に黙って手続きをしてしまったから、今更取り消しできないという。本人の意向をまるきり無視して。
「えっ、それはひどいね!」
陸と瓜二つの母親が笑顔でしゃあしゃあと言ってのける姿は宙にも容易に想像できた。彼女は明るく快活で愛情深い母親であったが、思いこみが激しくマイペースで、少々思慮に欠けるところがあった。
「なんだよ、留学、留学って。留学しなくても英語くらい満点とれたし。」
「……でも、絶対陸の将来的のためになるとは思うけどな。」
てっきり味方だと思っていた宙が発した予想外の言葉に陸はびっくりしたように顔を上げ、それから酷く傷ついた表情を浮かべた。
「なんだよ。お前も、母さんやおばちゃんたちの味方になったのかよ。」
「父さんに言われたんだ。本当の親友なら、自分のことより陸のためを考えるべきだって。」
「……意味わかんねぇ。オレのためってなんだよ! オレの気持ちを無視するのがオレのためかよ? お前なんか親友じゃねえ!」
「あっ、待って! 話を聞いてよ!」
陸は制止を振り切って教室を飛び出し廊下を駆け抜け、校舎裏の駐輪場に止めた自転車に飛び乗った。家とは逆方向の西門を抜け、県外へと続く国道に向かって自転車を走らせる。
 嘘をつく大人たちが嫌いだった。どんなに訴えても聞いてもらえないのが悔しかった。最初は父親、次に母親、そして幼なじみの宙の両親。ついには宙まで取りこまれてしまった。あまりの腹立たしさに涙がにじんで、陸は細いメタルフレームの眼鏡を外して制服のシャツの袖で目元を拭うと、ひたすら家から逆方向に向かって自転車をこいだのだった。
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